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タヒェレス (Tacheles) に歴史あり 【2005年8月4日】

タヒェレス
タヒェレス(裏側から)
 ここに紹介するタヒェレスは、ベルリンの歴史的中心部に存在する前衛芸術の拠点であるが、まずはその中心部について説明したい。
 1990年の東西ドイツ統一から今年で15年が経とうとしているが、ベルリンの壁の崩壊(1989年)以前、戦前のベルリンの中心部は、東ドイツに編入される形で西側から切り離されていた。東ドイツ時代には、西と「鉄のカーテン」で仕切られた、緊張に満ちた東の先端部だった。
 統一後は、再びベルリンの中心部となり活気を取り戻して行った。真空に吸い込まれるように人とものが集まったという感じだろうか。しかし中心部再生は均質的に進んだわけではない。統一から15年目の現在、活気を取り戻した中心部には性格を異にする二つの部分が結晶している。
 一つはオフィスや自動車のショールーム、高級ブランドショップ、ブティックといった秩序の側面。もう一つは、若者の集う繁華街や多国籍料理の飲食店、学生や若い芸術家などがシェア(ドイツ語でヴェーゲー(WG = Wohngemeinschaft)、「居住共同体」の意味)して住むような雑然とした住宅街といった無秩序(これも「無秩序」という秩序なのだが)の側面。
 この二つは、ベルリン中心部ミッテ地区にあっては、ベルリンのSバーン(市内・近郊電車)中央線を挟んで前者が南側に、そして後者が北側に位置して対峙し、分裂時代の東西対峙に代わって、ベルリンの新しいコントラストを形成している。前者の典型としては、フリードリヒシュトラーセ通り (Friedrichstraße) 界隈(フリードリヒシュトラーセ駅 (S Friedrichstraße) より南側)、そして後者の典型としてはオラニエンブルガーシュトラーセ通り (Oranienburger Straße) 界隈を挙げておこう。

 タヒェレスは、オラニエンブルガーシュトラーセ (Oranienburger Str.54-56a, 10117 Berlin)にあって、後者の粋(すい)、つまりカオスの中のカオスなのだが、これこそベルリンの現代、そして再統一後の現在を象徴するような存在。ベルリンを訪れるとシナゴーグ(ユダヤ人教会)の近くに廃墟のような建物があるが、観光で訪問された方は、なんだと思われただろうか。

 以下の文章は、タヒェレスのパンフレットから引用した歴史についての説明である。まずは一読して頂きたい。

芸術の殿堂タヒェレス (TACHELES) の歴史

 1907-1909年、フリードリヒシュトラーセパサージュは、「商品の殿堂」として建てられました。当時にあっては、ベルリンで第2の規模を誇るショッピングモールであるとともに、鉄筋コンクリート建築の草分けでしたが、ファサードにはゴシックおよび古典様式の要素が取り入れられていました。建物の中央には、ヨーロッパ最大の鉄筋コンクリートのドームが、吹き抜けの天井として設置されていました。建物全体が最新のものであり、その技術と形状は現代の曙(あけぼの)を表現するものでした。

 1928年、電気機器分野の大企業アーエーゲー (AEG) がこの建物を引き継ぐと、建物は「技術の殿堂」となり、映画の上映を含め展示や製品発表の場として利用されるようになりました。1936年、ベルリンでオリンピックが開催されたときには、世界初のテレビ中継が、この建物から行われました。1933年以降、ナチスの党組織によって占拠される部屋がしだいに増えて行きました。1941年には、DAF(ドイツ労働戦線、政治的に画一化された労働組合)がこの建物の所有者になり、また「SS中央土地局」が拠点をおきました。大戦中は、引き続き計画が立案され、生産が行われましたが、1943年、最上階にフランス人戦争捕虜が一時的に収容されていたことが分かっています。

 1949年、ドイツ民主共和国(東ドイツ)の建国とともに、この建物はFDGB(自由ドイツ労働組合総同盟)の手に移りました。その後、一時的に利用されることはありましたが、ドイツないしベルリンの分割により、建物は使われないまま放置され、しだいに荒廃が進んで行きました。中には、NVA(東ドイツ人民軍)、国立芸術学校、映画館Cameraによって使用された空間もありましたが。フリードリヒシュトラーセパサージュの、戦時中の被害は建物全体に及ぶものではありませんでしたが、1969年および1977年の構造鑑定により、建物の解体が勧告され、80年代の初めに何度か爆破が試みられました。それでも、1923-24年に貴重品収蔵庫として後から設置された2層の地下室のために、今日残っている建物部分が破壊されずに残されました。

 1989年の「壁」崩壊後、東ベルリンでは、ミッテ地区、プレンツラウアーベルク地区、フリードリヒスハイン地区を中心に、建物の占拠をともなうサブカルチャーが発生しました。フリードリヒシュタラーセバサージュの最終的な解体は、1990年4月に予定されていましたが、芸術家イニシアティブ・タヒェレス (Tacheles) による占拠によって阻止されました。そして公的機関の支援により、建物の維持が実現し、構造鑑定の結果、同年、建物は歴史的建造物として保護されることが決定しました。1998年に、タヒェレス (Tacheles) に関連する建造物は、投資家グループ FUNDUS によって買い取られましたが、その際の条件は、タヒェレス (Tacheles) を歴史的に価値のある、現代の文化にとって重要な場所として維持するということでした。そして月1ユーロというシンボリックな賃貸料が設定されました。2000-2002年には、建物の改修が行われることになりましたが、その際の建築コンセプトは、古い廃墟的なものと、新しい、現代を想起させる形態要素を対照的に結びつけるというものでした。芸術の殿堂タヒレス (Tacheles) は、芸術と文化の新形態の交流、成立に奉仕する、国際的な出会いの場でしたが、それはこれからも変わりません。タヒェレス (Tacheles) のコンセプトでは、映画館、劇場、バーといった様々な分野と並んで、世界中から集まる若い芸術家のためのアトリエとして、この空間を利用することに重点がおかれています。(この文章は、タヒェレスから提供された "Geschichte Kunsthaus TACHELES" を翻訳したものです。)

Geschichte Kunsthaus TACHELES

1907-1909 wurde die Friedrichstraßenpassage als "Kathedrale der Waren" gebaut. Es war die zweite große Einkaufspassage und eine der frühesten Stahlbetonbaukonstruktionen Berlins. Die Fassaden enthalten gotische und klassizistische Stilelemente. In der Mitte der Passage durchschritt man eine der größten Stahlbetonbaukuppeln Europas. Der gesamte Gebäudekomplex war hochmodern und technisch und gestalterisch Ausdruck für die beginnende Moderne.

1928 übernahm der Elektrokonzern AEG den Gebäudekomplex und nutzte ihn als "Haus der Technik" für Ausstellungen und Produktpräsentationen einschließlich Filmvorführungen. 1936 wurde von hier die weltweit erste Fernsehübertragung der in Berlin stattfindenden Olympiade gesendet. Ab 1933 wurden zunehmend Räume von verschiedenen Parteiorganisationen der Nationalsozialisten belegt. Die DAF (Deutsche Arbeiterfront, politisch gleichgeschaltete Gewerkschaft) wurde 1941 Eigentümerin des Gebäudes und das "SS-Zenralbodenamt" erhielt dort seinen Sitz. Während des Krieges wurde im Haus weiter geplant und produziert. Man weiß, dass 1943 Dachgeschoss zeitweise französische Kriegsgefangene untergebracht waren.

1949 ging das Gebäude mit der Gründung der DDR in das Eigentum des FDGB (Freier Deutscher Gewerkschaftsbund). Durch die Teilung Deutschlands bzw. Berlins blieb das Gebäude, neben einigen Zwischenmietern weitgehend leerstehend und verrottete in zunehmendem Maße. Es wurden u.a. Räume genutzt von der NVA (Nationale Volksarmee), der staatlichen Artistenschule und dem Kino "Camera". Obwohl die Friedrichstraßenpassage während des Krieges nur teilweise zerstört worden war, empfahlen zwei Statikgutachten aus dem Jahren 1969 und 1977 den Abriss. Anfang der 80er Jahre kam es zu mehreren Sprengungen. Wegen des zweigeschossigen Tiefkellers, der 1923/4 als Tresorkeller nachträglich angelegt worden war, blieb damals der heutige Restflügel verschont.

Nach dem Fall der Mauer entstand ab 1989 in Ostberlin, vor allem in den zentralen Bezirken Mitte, Prenzlauer Berg und Friedrichshein eine Subkultur, die mit einer Welle von Hausbesetzungen einherging. Der endgültige Abriss der Friedrichstrassenpassage, geplant für April 1990, konnte durch die Besetzung des Gebäudes durch die Künstlerinitiative Tacheles verhindert werden. Mit der Unterstützung öffentlicher Behörden wurde die Erhaltung des Gebäudes durchgesetzt. Nach Vorlage eines statistischen Gutachtens wurde das Gebäude noch im gleichen Jahr unter Denkmalschutz gestellt. 1998 wurde das Gelände rund um das Tacheles von der Investorengruppe FUNDUS erworben. Bedingung war, das Tacheles als historisch wertvollen und heute kulturell wichtigen Ort bestehen zu lassen. Vereinbart wurde eine symbolische Miete von 1 Mark monatlich. In den Jahren 2000-02 kam es schließlich zur Modernisierung des Gebäudes. Die architektonische Konzeption zeigt die kontrastierende Verbindung zwischen alten ruinenhaften und neuen, modern anmutenden Gestaltungselementen. Nach wie vor ist das Kunsthaus Tacheles ein Ort internationaler Begegnungen für Austausch und Entstehung neuer Formen von Kunst und Kultur. Neben den unterschiedlichen Bereichen wie Kino, Theater, Barbetrieb, liegt der Konzeptschwerpunkt des Tacheles vor allem in der Nutzung der Räumlichen als Atelierräume für junge Künstler aus aller Welt.(このテキストは、TACHELES e.V.から提供されたものであり、ここでの使用許可を得ています。)


 この説明からも分かるようにタヒェレスの建物は、20世紀のベルリンの歴史そのものであり、それは壁の崩壊後の現在もスクワットハウスのムーブメントとともに続いている。
 現在は若い前衛的な芸術家のアトリエとして使われているが、劇場、ギャラリーなどオープンなスペースもあり、ここを拠点とする芸術家の作品を展示したり、様々なアートイベントに使用されている。
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chuuu_さんのパフォーマンス
 外見の廃墟的な雰囲気からは、常人や観光客には近寄り難い感じもするが、タヒェレスの人々はインターナショナルで親しみやすい。アトリエには日本人の芸術家も入居している。
 国際都市ベルリンの今を体感したいのなら、一度訪問されることをお勧めする。【長嶋】




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【リンク】TACHELES e.V.:www.tacheles.de


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