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ルンメルスブルク矯正院 - 「強制労働」発祥の地?を求めて 【2006年8月3日】

 ドイツでは現在、長期失業者を対象として通称「1ユーロ・ジョブ」という対策が実施されている。これは長期失業者に時給数ユーロという低賃金で労働機会を提案され、理由なく拒否すれば一定期間、失業給付金がカットされるというもの。提案される労働としては、低賃金でしか成り立たないような公共サービスに限られているが「強制労働」との批判も聞こえてくる。
 このような社会政策としての「強制労働」と言うと、ヨーロッパ近代において導入された、強制労働をともなう貧民救済事業を連想させる。つまり路上生活者を収容施設に集め、強制労働を課して産業社会に適応できるように規律化しようというもの。イメージとしては、ディケンズの小説を映画化した「オリバー・ツイスト」に観る孤児院のような感じだろうか。規律化と言えば、少しは聞こえも良いが、工業化(産業革命)に始まる人口急増、大量失業や貧困化という社会経済的問題を個人の怠惰に責任を転嫁するものでもあった。そして自由を奪われた貧民は、十分とは言えない食事と不衛生な環境(ただし路上生活と比較してどちらが?という疑問も当然あるのだが)のもとで、栄養失調や病に倒れるものも少なくはなかった。

 そのような制度が、現代の「1ユーロ・ジョブ」と比較可能かという問題をここで扱うつもりはない。「規律化」「強制労働」というキーワードで、ベルリンに残る矯正院跡を訪ねようというのがここでのテーマ。

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Hauptstrasse側から シュプレー河畔のプロムナードから

 ドイツでは工業化(産業革命)が遅れたこともあり、そのような矯正院 (Arbeitshaus / Workhaus) 、貧民救済施設が各地にできるようになるのは19世紀になってからのこと。ベルリンでは世紀後半になってから設置されている。現在までその姿を残すものとしては、1877 - 79年に東のはずれルンメルスベルグ (Rummelsberg) に作られた施設がある。もちろん今はそのような目的では使われていない。
 施設は合計19の建物からなり、1945年に爆撃による被害を受けながらも1951年まで矯正院として使用された後、東ドイツ時代の1953年に刑務所となり、壁の崩壊、東西ドイツ統一を迎えた。1990年には東ドイツの国家評議会議長、社会主義統一党書記長であったホーネッカーが取り調べのため一時留置されている。
 建物は現在、歴史建造物として保存対象物となり再利用を待っている。筆者が訪れた2006年8月には、敷地に立ち入ることはできなかったが、路面電車の通る Hauptstrasse やシュプレー川のプロムナードから煉瓦造りの建物がよく見えた。

 刑務所として使われていたため、どの程度が矯正院時代の面影を残しているのか判断できないが、矯正院も刑務所もそれほど変わりがないということは容易に想像できる。収容された都市の貧民はどのような気分で強制労働に取り組んだのだろうか。【長嶋】


リンク:
ベルリン州のポータルサイト内
「ベルリン・ルンメルスベルク矯正院 (Das Städtische Arbeitshaus Rummelsburg)」

所在地/行き方:
Hauptstrasse 8(Lichtenberg地区)。U5 Frankfurter Torで路面電車の21(Schöneweide行き)に乗り換え、Kosanke-Siedlung で下車、進行方向に歩くと右側に煉瓦造りの建物群が見える。さらに進むと施設の塀にそってシュプレー川河畔のプロムナードへと続く細い通路がある。

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