【社会/環境】
地下層は人類の肥溜めとなるか【2004年4月7日】
 「肥溜め」ということばは、もうあまり使われなくなった。小さい頃は、汲取り式便所の下の大きな穴のことをいった。この穴には、野菜などの肥やしとして使うために糞尿が溜められていたのだ。これは、現代流にいえば、排泄物の再利用ということだ。

 この肥溜めにおける「再利用」の基本理念は、「循環」という概念ではなかろうかと思う。排泄したものを貯蔵して、それを食料を育てる肥料として使う。育った食料は生きるための栄養分となって、再び排泄されて肥溜めに戻ってくる。
 地球資源が有限である以上、資源をいかに有効に利用して、環境への負担をいかに低減させるのか。そして、どのように持続可能な発展を遂げていくのか。その問いが、「循環型社会」という考え方の基本となっている。その意味で、当時意識されていたかどうかは別にして、昔の肥溜めには現在の循環型社会の基本理念が備わっていたといえると思う。

 科学技術が急速に進歩した現在、この肥溜めの理念は様々な形で発展してきた。たとえば、ドイツの国会議事堂である旧帝国議会の建物だ。ここでは、電気と熱を同時に取り出すシステム(コージェネレーションシステム)を利用して、暖房の必要ない夏に得られる熱を地下300メートルの自然塩水層に貯蔵している。熱は冬の暖房用に利用されるのだ。また、冬季の冷たい外気から得られる冷熱は、地下50メートルにある淡水層に貯蔵され、夏になると冷房用に利用される。
 ドイツ北部のフントルフ(ニーダーザクセン州)というところでは、原発からの夜間余剰電力で空気を圧縮する。圧縮空気は地下650メートルにある岩塩層の空洞に貯蔵され、ガスタービン発電に利用される。

 こうして見ると、人類は肥溜めをはじめとして、循環という理念を実現しようとしているかのように見える。そして、そのためにより深く地下に入り込んでいる。

モアスレーベン最終処分地
ドイツのモアスレーベン最終処分地、岩塩層に低中レベル放射性廃棄物が貯蔵されている
(連邦放射線防護庁の冊子から)

 しかし人類は現在、循環という理念が成立しない目的にも地下層を利用しようとしている。そのひとつは、放射性廃棄物の最終処分だ。ドイツはこれまでのところ、地下約1000メートルの地下層に放射性廃棄物を埋立て処分する計画だ。これまでのところ、粘土層や岩塩層が放射性廃棄物の処分に適するとされている。もうひとつは、二酸化炭素の地下層固定化だ。ポーランドの南西部では、地下1000メートルにある石炭層に二酸化炭素を吸入して固定させ、同時にメタンガスを回収するフィールド実験が開始されようとしている。
 放射性廃棄物の場合は約100万年、二酸化炭素の場合は約400万年、地下層に安全に「溜め」ておかなければならないという。まったく気が遠くなる話ではないか。これは地下に永久貯蔵しなければならないということで、地下層はそのための安全バリアとして利用されるのだ。

 肥溜めの理念は循環にあるといった。糞尿は再利用されるから、肥溜めは有限でいい。しかし、放射性廃棄物も、二酸化炭素も、再利用されることはない。つまり、放射性廃棄物と二酸化炭素が増え続ける限り、それを「溜める」地下層も増え続けるということだ。しかし、地下層は有限である。さらに、「溜める」という目的に適する層には制限がある。

 二酸化炭素の排出量を削減するために、原子力発電を拡大すべきだという意見がある。しかしこれは、放射性廃棄物を増やすか、二酸化炭素を増やすかという議論でしかないことがわかる。いずれにせよ、永久貯蔵に必要な地下層が増え続けるということだ。
 これは、最終的な解決にはならない。今人類がしなければならないのは、肥溜めの理念を再現することではないのか。地下層を利用するなら、循環という理念を基本にしなければならないということだ。そうしない限り、人類は有限という問題に直面することになる。【fm】 

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