文化/スポーツ
ドイツのリート科で学ぶということ 【2004年4月1日】
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 シュツットガルト音大で33年間にわたって、「リートクラス」の授業を受け持たれていたコンラート・リヒター教授は、この冬学期を最後に、同音大を退官された。リートクラス学生による最後のコンサート「フィナーレ・グランデ」の際に、先生は舞台上で「1970年に自分がこの学校に招聘されたときは、まさかこんなに長くこの職にとどまることになるとは全く想像しなかった。」と感慨深げに挨拶されていたが、その33年の間に先生が教えられた生徒は数知れない。先生の下で勉強された日本からの留学生の何人かは日本の音大の中枢で教鞭をとっており、また第一線で演奏家として活躍している。親子二代で先生に師事したという例もある。


 「リートクラス」という言葉は日本人一般、それどころか日本の音大生にも説明を必要とする言葉だろう。ここでは私が在籍していた「リートクラス」について簡単に説明してみたい。リートとはドイツ語で「歌曲」一般を指すが、クラシック音楽の分野で「リート」という場合は古典派(ハイドン、モーツアルトなど)以降の作曲家によって作曲された歌曲のことを示すということになっている。テキストの作詞者の名前も楽譜に明記されている。テキスト作家は「作曲家の知人」として認知されているような人々からゲーテ、ハイネなどの大詩人まで多岐にわたる。
 リートクラスとはそれらの歌曲を学ぶクラスのことだが、ピアニストたちも必ず在籍しているときにはオーケストラやギターによって伴奏されるリートも存在するが、「リート」の基本の演奏ユニットは歌手とピアニスト。歌手だけが学ぶのでは、室内楽としてのリートは成立しないとの理念からピアニストも伴に学ぶのだ。
 教えるのは、「歌曲クラス」と訳すことができるので、声楽科の教師が教えるのだと思われかもしれないが、教授はピアニストであるというのが一般的だ。カールスルーエ音大などいくつかの音大は歌手とピアニストが二人で組になって教える形式をとっているが、1人でリートクラスを受け持つ場合はピアニストが教える例が多い。リヒター教授も第一線の歌手と共演した経歴をもつピアニストである。
 シュツットガルト音大リートクラスの授業形態および内容について少し触れてみよう。クラスには歌手、ピアニストが10人前後在籍している。学生たちはデュオを組んで事前に練習し、授業の際には自分たちなりに「仕上げた状態」にして、教授のレッスンに臨む。レッスンでは聴講をいつも受け入れており、毎回のレッスンに聴講者がいることでちょっとした緊張感がある。
 レッスンの最初は、必ず曲を通して演奏する。その後指導が始まるのだが、先生は事前に生徒が今日はどの曲を持ってくるか全く知らされていないのにもかかわらず、どの時代のどの曲でも素晴らしい造詣を披露され、またその場で自分が弾いて見本を示される。リートのテキストの内容は、ドイツ人学生にも非常に難しいもので、レッスンでは「今は廃れてしまった、そのリートが作曲された当時の常識」が基礎知識として教授される。例えば、ギリシャ神話の神々の出てくるリートはたくさんあるが、ギリシャ神話は、当時のリートを楽しむ階層にとっては常識の一部で、寓意やメタファーなどもすぐに理解されうるものであった。今の私たちが演奏するさいにはそれらは知識として持っていなければならない。また逆に私たちの時代には当たり前の不協和音が、作曲当時にはとてもセンセーショナルな響きを聴衆にもたらしたことを考えることも大切で、「当時はセンセーショナル」な響きの伴奏は、テキストの単語が深い意味を持つ時に使われている、ということなどが教えられる。つまり歌手もピアニストも当時の教養に精通し、作曲当時の「耳」「感性」で音楽を解釈することが求められるということだ。そのような一般教養と並行して、もちろん個々の生徒の直すべき欠点、歌手であればテキストの「発音」、ピアニストにはテクニック面やペダルの扱い、指使いなどがフォローされる。
 私はこのリートクラスに歌手として1年半、ピアニストとして2年、計3年半在籍した。その間にひしひしと感じたことは、ある「一曲」を総合的に理解することの難しさ、そして楽しさだった。リートは先にも触れたように演奏ユニットとしては一番コンパクトな単位である。歌手とピアニストしかいない。だが実際のところ、歌手がピアノ伴奏を深く理解すること、ピアニストが歌手の歌っている内容をやはり深く解釈するというのは、そんな小さな単位でも容易なことではない。日本ではドイツ語を理解せず伴奏するピアニスト、伴奏に注意をせずに歌う歌手もまだまだ少なくないようである。
 ピアニストは、リートを伴奏することによって、作曲家があるハーモニーに対してどんなイメージを持っていたか、テキストという具体的な言葉で知ることができるであろう。例えばブラームスのリートを学ぶとき、「熱い涙」という言葉につけられた伴奏は、ブラームスがそのハーモニーに対して持っていたイメージを私たちに教えてくれる。それを知ることで、テキストのないピアノ曲を演奏するときも、ブラームスの持っていたイメージにより近づけるのではないかと思われる。
 一方、歌手がきちんと室内楽的に構成された伴奏で歌うことは、正しい音程や正しいテンポといった、基本的だが、情緒的な「歌手魂」に軽視されがちな部分をカバーするだけでなく、テキストに沿ったハーモニーの変化から絶え間なくインスピレーションを受け取れるという利点がある。例えば「雷がとどろく」というテキストの前に予兆のようにあらわれる伴奏が、場の雰囲気を高めてくれたら、歌手はどんなに歌いやすくなるだろう。
 演奏家として他人と共演する際、自分のパートをきちんと勉強し洗練していくことは当然だが、自分のパート以外の部分、つまりその音楽全体にも責任をもって構築していく作業。それを最小限の単位で、深く学べる場所がリートクラスなのだ。私はそこでとても充実した3年半を送ることができた。【下村】




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