旅人たち
トスカナへの旅
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テンペルホーフ空港

(ベルリン)

イタリアへの旅立ちは、テンペルホーフ空港からブリュッセル経由で。テンペルホーフ空港は、御覧の通り典型的なナチ建築。戦前の大空港は、今や街の中の小さな空港になっている。小型機やビジネス機が離着陸してるが、危険性が指摘され遠からず閉港することが決まっている。閉港後の跡地利用に関して、草地・公園として残すのか、ビジネスセンターとして再開発するのかで議論が分かれている。



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フィレンツェ市街全景

丘の上、ミケランジェロ広場からの眺望。フィレンツェは、一流のルネサンス都市ではあるが、近代の経済発展が町並みを崩してしまっている。市の中心部の狭い道にまで自動車が入り、うかうかと歩いてもいられない。

サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂も遠目には良いが近付くと装飾過多でなんとも品がない。ファサードの装飾は、A.コンティ(1875-1886)の構想によるネオゴシック様式のものということで、19世紀になって後から貼付けられたものだ。そこでも近代は悪く影響している。

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ピアッツァ・デル・カンポ(カンポ広場)

(シエナ)

フィレンツェから山間の道を1時間30分あまり行くとシエナに至る。シエナは中世商業でフィレンツェと覇を競ったが、ルネッサンス期以降は競合に破れ、工業化の波も経験していない。その結果、街は近代の変容を免れ、中世の雰囲気をよく残している。

カンポ広場は、街の中心でパラツォ(市役所)に面している。夏には地区対抗の競馬(パリオ)が開催され、市民は熱狂し、多くの観光客を集める。ローマの戦車レースからフェラーリのF1での活躍まで、イタリア人は、昔からぐるぐる回るものが好きなのだろうか。

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ロムルスとレムスを育てる母オオカミ

(シエナ)

シエナ市街地には、ローマの伝説上の創始者、ロムルスとレムスを育てるオオカミの像が各所に置かれている。伝説によれば、シエナはレムスの息子によって建設されたということ。「シエナ」の街の名もそこに由来するという説明がある。

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シエナのスカイライン

中世都市は屋根が美しい。イタリアの強い陽射しの下では、日陰を作ってくれる狭い路地はじつに有り難い。

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善政のアレゴリー(「善政と悪政」の一部)

(シエナ)

パラツォ内には、善政と悪政のアレゴリーを描いた壁画がある。左は善政の一部。この絵より右には、善政がもたらす市の平和と産業の繁栄が描かれている。その反対側には、善政と対になるかたちで悪政のアレゴリーが描かれているが、そちらは傷みが激しい。残っている部分では、荒廃した町並み、不当に逮捕される市民などが描かれている。

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平和の女神

善政のアレゴリーの左端では、平和の女神が暇そうにしている。善政で戦争がなければ彼女の出る幕はないと言うことか。退屈そうな表情がかわいい。

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ブリュッセル空港

帰路、トランジットで寄ったブリュッセル空港のターミナル。整然としているが、人気はまばらで寂しい雰囲気。ベルギーのフラッグキャリア、サベナ航空が倒産し、その後、ブリュッセル航空として復活したが、アフリカ線を除いて長距離路線はない。

ベルリン - ブリュッセル - フィレンツェは、そのブリュッセル航空を利用したが、エコノ ミーでも座席配置がゆったりしており、快適な空の旅を楽しんだ。

ブリュッセルでは、ベルギーの銘産Godivaのチョコレートが免税品店で購入できる。

旅行を終えて

7月末、イタリア在住の友人に招かれ、トスカナ地方を訪問した。イタリアは記録的な暑さだったが、友人の案内でフィレンツェとシエナを楽しむことができた。友というのは有り難いものだ。

イタリアの暑さと湿気は日本と同様に厳しいものだったが、蚊の多さにはそれ以上に閉口した。ファシズム台頭期のイタリアを訪れた和辻哲郎も同様の理由で難儀し、この地方の街が低地ではなくわざわざ山の中腹に築かれているのは、蚊を避けるためかと書いている。それほど蚊が多い。イタリアのスーパーマーケットでは、蚊とり線香が販売されていた。



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