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ヴィスマール−潮風に吹かれて− 【2005年12月28日】

 クリスマス休暇、ふとどこかへ出かけたくなった。旅というほどでなくとも。ドイツのクリスマス休暇は、日本のかつてのお正月と同様、皆、家族とともにクリスマスを祝う。したがって帰省客を送り出したベルリンの街は、ひっそりと静まりかえる。商店や飲食店、娯楽施設も、そのほとんどが休業し、独り暮らしの私は家でひっそりとしているしかない。こんなとき、どこかに逃げ出したくなるのが人の情。



 しかし出かけたところで、出かけた先もクリスマス。何があるわけではない。それはとっくに承知。むしろ何もないというのを見つけようというのが今回の「旅」の目的。人気のない寂しいところで、クリスマスにしか味わえない独り者の孤独感にとことんまで浸ってみたい。となればそれはどこか。
 以前、真冬に訪ねたバルト海の浜辺、ロストック近郊のヴァルネミュンデは寂しかった。しかし同じところは行きたくない。となるとロストック西方のハンザ都市ヴィスマールが思い浮かんだ。人口は5万5千あまり。同じハンザ都市といってもロストックの23万よりもずっと小さい。ここなら大分寂しそうだ。目的地はここに決定。
 クリスマス休暇第1日目の25日、ベルリンはときどき日が射すほどの好天。暖冬とはいえ暖かくはないが、我慢できない寒さではない。都合が良いことに25日は日曜日。DB(ドイツ鉄道)の週末切符が使える。お弁当は、パンにスライスしたタマネギとサーモンを挟んだものとブルーベリーのジャムを塗ったものをラップで包む。これで飲食店が全て閉まっていてもひもじくはない。ペットボトルのミネラルウォーターもあり準備万端。

 25日9時13分、ベルリン・ツォー駅からRE(ローカル急行)に乗り込めば、ヴィスマールまでは乗り換えなしの約3時間。快適至極。RE (Regional-Express)は「ローカル急行」とでも訳すが、急行といっても特別料金は不要。JRのカテゴリーなら快速列車といったところ。特急、急行は利用できない週末切符もこれには有効。
 週末切符、現在30ユーロ也。但しこれは自動券売機かインターネットでの購入価格。窓口や車内で買うと追加料金をとられるので注意(要確認)。それと今回は、購入者の氏名を書き込む欄が追加されているのに気がついた。成人5人までの同行者に有効な切符だが、購入者がいつも所持していないといけないということか。一人旅で自分の氏名を書き込むのは構わないが、車内検札で身分証明書を見せろといわれてドキリ。今回は自分の名前が書き込まれた図書館利用証を見せて済んだが、パスポートでないと駄目だといわれることもあるかもしれない。今後の教訓。

 ベルリンから北西に向かって列車は走る。このヴィスマール行きREの経路は、途中までベルリン−ハンブルクを結ぶ幹線。新幹線列車ICEも通る。ベルリンを出て1時間ほど走るとブレッディン(Breddin)でICEの追い越し待ち。ドイツでの追い越し待ちは、まだまだ希な経験。それほどダイヤは密ではない。田舎の駅を猛スピードでICEが走り抜ける。架線が大きく揺れる。
 この辺りに来ると風力発電用の風車をよく見かける。ドイツの風力発電量は世界一。田園風景の中ににょきにょきと立つ風車は異様といえば異様だが、再生可能エネルギー支援があればこそのこの風景。これに挑む現代のドンキホーテはありやなしや。背の高い風車の頭を薄い雲がかすめて過ぎる。ドイツの冬空、雲の天井は低い。

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用水用の堀
 12時20分ヴィスマール着。駅は旧市街の外周部に接しており、駅を出れば旧市街に入る。世界遺産登録都市だけに落ち着いた中世の街並。駅前から港に向かって水路が流れる。岸には倉庫風の建物もあり運河かと思いきや、実は用水用の堀。ドイツ最古の都市用水路と説明されていたが、最古のうちの一つくらいに考えていた方が良かろう。旧市街は、小さくまとまっており直径を通り抜けても10分とかからない規模。市役所や見所の建物が面した市場広場、大通りなどを見る。
 しかし期待していた「寂しさ」はここにはない。確かに商店は全て営業を休んでいるが、通りには帰省中とおぼしき家族連れが散歩する姿あり。喫茶店に入れば、やはり老夫婦と都会から帰って来た息子夫婦、孫の一家団欒。日本のお正月の居間を見るようなほのぼのとした光景。

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ヴィスマール旧港
 港はどうか。旧港と呼ばれるかつての港の岸壁は人気もまばらだが、中世サイズの小さな港だけに数人の人を見れば寂しさもない。岸壁の端まで行って戻ってくると港巡りの遊覧船の客引き。クリスマスのことで乗る人もほとんどなく船内も甲板もがらがら。広い港を海上から見ると少しは寂寥感も漂うかと乗船。通常成人7ユーロのところ、クリスマス価格6ユーロ。遊覧1時間。
 しかし出航間際、老人ホームとおぼしき団体さん、バスで到着。船内の席はほぼ満席。個人のお客は甲板に残され、キャビンに入る機会を逸して海の風に凍えるはめに。ロシアからの木材運搬船が横付けされた岸壁、コンテナ埠頭、化学工場、造船所を海上から見る。中世以来の街とは言っても港は現在も活動を続けている。甲板では日に当たると暖かみを覚えるほどの日差しの強さだが風は冷たい。もう寂寥感を探すどころではない。

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スウェーデン人頭
 今回、私の興味を引いたのは写真の「スウェーデン人頭」 いかめしい顔をしたおじさんが笑えるかぶり物を頭に載せている。かぶり物は獅子かトドか。写真は、旧港岸壁の建物バウムハウスの入口に設置されたものだが、本来は港への入口の、最も外側の杭に載せられるべきもの。現在も同じ場所にレプリカがある。この笑える彫像がどこから来たのか、はっきりとしたことは分からないそうだが、市ツーリズムセンター作成のパンフレットによると、1672年に港入口の、最も沖にある杭が「スウェーデン人」と呼ばれていたのが分かっている(その理由はパンフレットからは不明)。そして19世紀初頭にスウェーデン時代の追憶として、その杭にこの彫像が設置されたそうだ。スウェーデン時代というのは、ヴィスマールがスウェーデンの支配下に入っていた時期、つまり1648年(三十年戦争終結、オスナブリュック講和)から1803年ないし1903年まで(2006年1月3日訂正)。しかしこの像が、スウェーデン人を模したものかというとそうではない。本当はヘラクレス像。この像、おそらくは船尾の飾りであったと考えられている。沖の杭上にあったものは1902年にフィンランドの艀によって壊されたためレプリカが作成された。オリジナルは、市の歴史博物館に保管されている(パンフレット)。

 ヘラクレスといえば、諸方を遍歴して猛獣、怪物を退治したギリシャ神話の英雄だが、そこから考えると、スウェーデン時代の追憶とは、スウェーデン支配を怪物に見立て、それを追い出した記念なのだろうか。杭をスウェーデン人と呼ぶようになった理由、市民は彫像をヘラクレスとして理解していたのか、あるいはスウェーデン人の滑稽なおじさんと理解していたのか、謎は広がる。
 沖の寒風に凍え、スウェーデンおじさんとの惜別の情に旅愁を十分に味わった私は夕刻、ベルリンへと帰途についた。【ながしま】

参考:
ヴィスマールのHP:www.wismar.de
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