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                    チェックポイントチャーリー(パノラマ)【2005年2月6日】 
                     
                     まずは、スクロールバーを動かして、チェックポイントチャーリーの周囲を一周見渡していただきたい。 
                     
                    
                      
                        
                          
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                            検問所詰め所跡、旧西ベルリン方面 
                            (南) 
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                            ツィンマー通り 
                            (西) 
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                            復元された壁 
                             
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                            フリードリヒ通り、旧東ベルリン方面 
                            (北) 
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                            最近作られたモニュメント(黒い十字架) 
                             
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                            (東) 
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                            一周しました。 
                             
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                     検問所C。アルファベットの各文字を間違えなく伝えるのに、しばしばある単語の頭文字の・・と呼ぶことがある。Cは、アメリカではCharlie(チャーリー)のC。「チェックポイント・チャーリー」の名前はそこから来ている。 
                     壁が分断していたのは、東西ドイツと東西ベルリン。しかしここでは壁は東西に走るため、南が西ベルリン、北が東ベルリンとなっている。南北に通じる道はフリードリヒ通り(フリードリヒシュトラーセ)で、現在では西ベルリン地区のクーダム通りと並び、高級ショッピングゾーンとなっており、ブランドショップや自動車のショールームが軒を連ねる。この通りの地下には、地下鉄が通っているが、東西分裂時代には、西側の地下鉄として東地区にのり入れていた。しかしSバーンとの乗り換え駅であるフリードリヒシュトラーセ駅をのぞき、東地区内の各駅は入り口を封じられ、ホームが残っていても通過するだけの幽霊駅となっていた。地下が西ベルリン、地上が東ベルリンというわけだが、そう考えるとフリードリヒ通りのアスファルトの路面というのは、これもベルリンの壁の一部のようなものか。 
                     分裂時代の西ベルリンで幼少時、初等学校就学年齢を過ごしたという友人に、当時とじ込められていたという感覚はなかったのかと聞いたことある。西ベルリンには、森も湖もあり、休暇を海外で過ごすなら、いずれにしろ飛行機に乗るのだから、閉じ込められているという感覚はなかったとのことだった。子供だったということもあるだろうが。閉塞感を感じていたのは、東ドイツの市民に多かったのだろうか。壁を越え、鉄のカーテンを破ろうとして命を落としたものも少なくない。去年、壁の犠牲者を悼むモニュメントが、ツィンマー通りの北側に作られた。 
                     現在は、壁見物の観光客、買い物に訪れる市民は、当然のことながら自由に旧東西国境を通過できる。通行量の増加でフリードリヒ通りの混雑が問題になっている。 
                     
                     写真は2005年2月6日に撮影。【長嶋】 
                     
                    
                     
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