ドイツ
「ドイツ国民に」 【2004年5月4日】

Dem Deutschen Volke

 ドイツの国会議事堂である帝国議会の建物には、”Dem Deutschen Volke”という銘文が大きく刻まれている。直訳すると「ドイツ国民に」とでもなろうか。これは「ドイツ国民に捧げる」という意味だ。さすがにドイツの国会議事堂、議会の神髄が表現されている、と思われるが、この表現には波乱な歴史が隠されている。

 この銘文が帝国議会の建物に取り付けられたのは、1916年であった。第一次世界大戦の真最中である。建物自体は1894年に完成していた。しかし、設計者である建築家パウル・ヴァロートが当初予定していた「ドイツ国民に」という銘文は、建物には取り付けられなかった。当時のドイツ皇帝ヴィルヘルム2世が、議会政治中心的な表現を好ましく思わなかったからだ。しかしヴィルヘルム2世は、戦争によって統制経済を余儀なくされた国民から戦争に対する熱狂的な支持が失なわれていくのを心配し、21年後になってようやく銘文の取り付けを許可、「ドイツ国民に」という銘文は、その翌年に取り付けられた。

 しかし、「ドイツ国民に」という表現は不幸な運命を辿ることになる。1930年代にナチスが台頭してくると、銘文を製作した鋳物職人の息子2人は、ユダヤ人だということから、ナチスの反逆者を処刑したベルリン・プレッツェンゼーとアウシュビッツ強制収容所で処刑されてしまう。さらに、当時の帝国議会議員のうち113人は「ドイツ国民」ではないという理由から拘留され、そのうちの75人は拘留中に死亡、8人が自殺した。

 ここで問題となるのは、”Volk”ということばだ。「国民」という意味だといってしまえばそれまでだが、ここには歴史的、文化的概念としての「民族」という意味が含まれている。それに「ドイツの」という形容詞が付いたことで、ナチス時代は「ドイツ人の血を持った人々」という意味に解釈されたのだ。この解釈は現在も、右翼の間では当然のこととして通用している。

 東西ドイツの統一によって、帝国議会の建物はドイツ連邦議会(下院)の議場となることになった。そのため、帝国議会の建物は外観をそのままにして大幅に改造されることになる。その際議会側は98年に、ニューヨーク在住のドイツ人芸術家ハンス・ハーケに建物北側の中庭にインスタレーションを設置するコンセプトを提案するよう依頼した。

 ハーケは非常に政治的な芸術家として知られ、中庭に"DER BEVLKERUNG"という文字を設置することを提案した。"Bevlkerung"ということばは、簡単には「国民」とも訳せるが、むしろ国の「住民」という意味だ。つまり、「人種や民族の違いは問わず、国で生活するすべての人々に捧げる」ということだ。ハーケの念頭には、ドイツの憲法に相当する基本法第三条の条文があった。その第一項は「すべての人間は、基本法の前では平等である」と記し、第三項に「何人も、その性別や血筋、人種、言語、故郷と出身、信仰、宗教観、政治観によって冷遇されたり、優遇されてはならない」とあるからだ。もちろん、ハーケがインスタレーションのことばを建物に刻まれた「ドイツ国民」にという表現と対照させているのはいうまでもない。それによってハーケは、国会議員に対して基本法第三条と過去を忘れるな、と想起させているのだ。

 ハーケのインスタレーションは、国会議員が自分の当選した選挙区から土を持ってきて、文字の周りに土を入れることで完成する。完成するという表現は正しくないかもしれない。議員が土を持ってくるかどうか、またいつ持ってくるかは、議員の自由意志に任せてあり、新しい国会議員も出てくるので、土は永遠に盛り続けられる。さらに、インスタレーションは一切手入されずに放置されるので、土に雑草の種でも混じっていたりすると、雑草は伸び放題となる。
 ここで、ハーケは議会制民主主義の原則を隠喩している。つまり、議会は選挙区を代表する議員によって構成され、議会は住民に代わって、住民のために国家の意思決定を行うところだということだ。さらに、雑草を伸び放題にさせることによって、議員には党議党則に拘束されるのではなく、国民の声を反映させる義務があるといっているのではないか。

 ここで問題となるのは、土をいれるという「儀式」だ。ナチスの時代では、土地、つまり土と血は一体化したものであった。たとえば1936年のベルリンオリンピックでは、ドイツ各地から土が持ってこられ、競技場にその土を入れる儀式が行われている。ハーケが当時の儀式を意識していたのは、間違いない。

 ハーケのインスタレーションは、政治的な大挑発であった。ハーケの案は、国会議員と文化関係者の代表で構成される連邦議会の芸術諮問委員会で討議され、実現されることが決定された。しかしその後、保守系政党から大きな反対論が出て、実現拒否申請が国会に提出された。それによって、この問題は本会議で議論して、決議しなければならなくなった。
 基本法第五条は、芸術表現の自由を唱えている。それに反して、国会議員は民主主義的手法によってハーケの芸術表現に自由を与えるかどうか、票決する羽目に陥ってしまったのだ。それも、緑の党の議員の動議によって記名投票で。

 国会議員の反応は、多様であった。保守系議員の中には、ハーケのインスタレーションは祖国に対する冒涜だと厳しく批判する者がいた。ティールゼ連邦議会議長(社民党)は、選挙区にあるユダヤ人墓地から土を持ってきたいと発言。また緑の党のある女性議員は、党のシンボルであるひまわりの種を入れておきたいわ、と語った。

 採決に際して各党は、党議拘束をはずして自由投票とした。投票の結果は
=賛成:258票
=反対:260票
=棄権: 31票
である。つまり、実現拒否申請は僅差で否決されたのだ。

 保守政党であるキリスト教民主同盟で最後に演説した議員が右翼のようにアジった影響で、保守政党から最後の最後になって棄権に廻った議員が予想以上に多く出たのが、拒否申請が否決された要因ではないかと憶測されている。

 ハーケのインスタレーションは2000年7月11日以降、毎日14時と20時の2回カメラ撮影され、ネット上で「住民」に一般公開されている。アドレスは

である。表示されている写真が最新のもの。過去の写真を見たい場合は、日/月/年の順に日付けを入力して、”Abrufen"をクリックすると、写真が出てくる。【fm】


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フリーランスのリサーチャー、翻訳者、通訳者
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