ドイツ
介護保険と人材(その1)【2004年8月15日】
 高齢者福祉における問題の解決は日本と同様にドイツでも社会全体にとっての重要な課題である。日本の社会制度はドイツをモデルにしたものが多いが、2000年から導入されている介護保険でもドイツの制度が多くの点で参考にされている。

 ドイツの介護保険はサービスではなく現金給付を原則としている。これは第一に福祉サービスの整備や人材の育成が進展していないにもかかわらずサービスの給付を前提としたシステムを整備しても機能しないこと、第二に介護施設のキャパシティ不足と介護ホームの家賃の直接負担が日本の数倍と高額であり、家庭で介護を受ける老人の数が多いため、介護にあたる家族の負担を軽減することも目的となっているのが理由だ。

 現金支給システムは、介護を必要とする高齢者と自宅で同居している家族にとっては、はげみにもなるし社会的に見て好ましい制度だと思うが、現実的に見て家庭での看護はとても大変なことで、寝たきりの高齢者の家庭介護を自力で何年も続けられる家庭は何%あるだろうか。
 
 私事になるが、私の祖父は晩年の数年間寝たきりだった。幸い入院できる高齢者用の病院が隣町にあってヘルパーさんもいたから経済的な負担以外はそれほど大変ではなかった。しかし祖父が一度お盆に泊まりにきたときは、介護の苦労がどのようなものか傍から見ていても良く理解できた。当たり前のことだが、寝たきりの老人が家にいるときには誰かが必ず家にいて最小限の対応はできるようにしておかねばならない。特別な設備もなく、介護に慣れていない家族が介護を毎日続けることは現代社会では現実的に見て無理だと思う。それができる人はいるかもしれないが、皆にそれができることを前提につくられている社会制度は機能しないだろう。同時に市民の善意を啓発するのは良いことだがモラルに期待するのは無意味だと思う(子供がいない人や、遠くに離れて住んでいる高齢者は増えるだろうから)。

 実際に、介護に伴う問題は、年々増大している。老人介護の問題というと、良くニュースで取り上げられる老人に対する暴力もそうだが、要介護者にとっては何もしない「だけ」でも虐待になる。

 ミュンヘン市では介護に関する問題についての相談所とドイツで初めての福祉施設監督所を1997年に設置し、老人ホームや障害者関連施設の監督を開始、さらに同市が所在するバイエルン州全体で福祉事業改善のための州法や規則が制定され改善の努力が進められている。介護施設の監督は難しい課題で、監督を強化すると後で述べるように人間的な介護がおろそかになり、単なる高齢者収容施設になってしまうし、その逆の場合には社会制度の公正な運用に支障が出る。ドイツでも景気が良いとされているバイエルン州の首都ミュンヘンですら介護保険の迷走によって240の介護サービスが存続の危機に瀕していると監督所の職員が言う。

介護保険廃止案

 介護保険が導入されて10年になるが、では実際の介護の現場はどのように変化したのだろうか。新聞や政府の報告書をたどって見ると関係者の苦労している様子が見えてくる。介護保険も2003年に赤字を計上し、積立金を取り崩すことになった。すでに連立与党緑の党からは、介護保険を廃止すべきとの意見も出ている。(ゲーリング・エッカート、Berliner Zeitung 2003年8月6日)
 緑の党が主張するのは、介護自体の廃止ではなく、介護保険の直接介護に関するものを健康保険に、家庭での介護に関する部分は社会保護として支出することにより、経費が大幅に節約され、保険事業の効率化を実現できるという考えである。
 これに対する連邦保健社会保障省の見解は、「介護保険は良く機能しており、なによりもジョブマシーンとして職を生み出しているうえ、まだ50億ユーロ以上の積立金がある。」というもの。しかしこれは、資金の効率的な利用についての提案に対する答えになっていない。

 この政府見解を検証して見よう。連邦雇用庁の統計を見ると1996年と2002年の比較では看護・介護の就業者は77万4000人から84万8000人に増えている(看護・介護補助を含む)。絶対数で7万4000人、9.56パーセント増と言うことになるが、これで満足せず、統計を細かく見てみる。発表されている数字からパートタイムの就業者を引いてみる。1996年のフルタイム就業者は56万9200人、2002年には56万9300人で、増えたのはパートタイム就業者だけだということになる。全体数だけを見てジョブマシーンとは少々大げさではないか。次に介護保険が良く機能しているかという質問になるが、1999年から連続で赤字となり、その額は2002年は4億ユーロ、翌2003年は6億5000万ユーロとそれほど明るい兆しはない。(とはいえ、この額を仮に1ユーロ140円で換算しても900億円前後だから、この金額で制度廃止が議論されるドイツは比較の対象によっては健全といえるかもしれない。)
 赤字の原因はどこにあるのかを探ると答えはすぐに出てくる。1995年に介護保険が導入された当初には、現在ほどの介護対象は予定されていなかった。年を追うごとに介護保険支払いの対象となるサービスのカタログは厚みを増し、対象者の数を単純比較すると10年で6倍にもなっている。今後予定されている介護改革で、これまで対象とされてこなかった痴呆老人の家庭介護が支払い対象となり、また現在の支払い内容での要介護者190万人が2010年には215万人となることを考えると今後も料率1.7%を維持するのはほぼ無理であろうと考えられている。

何かが良くなったのか

 しかし赤字を見てこの制度が失敗だと言うのは早計にすぎるだろう。もっとも大事なのは第一に介護費用の軽減、第二に介護環境の改善が達成されたのかということだ。
 
 まず第一の介護費用の負担軽減。介護保険の導入前、費用は原則的にこれまで、年金などによる自己負担であった。そして介護の費用が負担できる限度を超えた場合、生活保護手当てが支給され費用の支払いに充てることができた。介護保険導入以後は、これが逆になった。つまり介護保険が査定に基づいて支払う金額の超過分が自己負担となる。ドイツの老人ホームの入居費は高い。平均的な年金支給額と比較すると月々の家賃はその約2倍程度だったという。だから入居している高齢者へのインタビューを見ると多くの老人が「費用について、家族の世話にならずに済むのがうれしい」と述べている。
 
 介護サービスの変化についてはどうか。各種団体や保険組合などが作成した資料などを見ると、介護保険の導入以後介護の質は改善するどころか大幅に低下しているという。原因としては、従来老人ホームなどの施設の入居費が入居者一人当たりで決められていた(入居者負担)のに対し、介護保険が実施されるようになってからは、段階的な査定となり軽度の入居者に対して介護保険が支払う額が低いためにこれら施設の収入が減少していること、支給される手当てが入居者の人数で決まり、入居者一人当たりのヘルパーの数を減らすことが収益増の唯一の手段となってしまったためである。

 また認定された要介護度が低い高齢者に支給される金額は充分ではない。家庭で介護サービスを利用する高齢者の例を挙げて見る(南ドイツ新聞2003年8月21日から)。
 2001年のいわゆる「弾性ストッキング判決」まで、脳血栓などを防ぐための弾性ストッキングの取替えは健康保険の支払い対象だった。赤字の続く公的健康保険としては負担を減らすことに必死だからこの判決で弾性ストッキングの着脱が保険対象外となると、それを負担するのは介護保険ということになった。要介護度Iに認定された高齢者の場合、介護保険が支給する金額は月に384ユーロである。このストッキングを穿かせる作業の算定額は5.07ユーロ、脱がせる作業も5.07ユーロである。一日で10.4ユーロ、一ヶ月では304.2ユーロになる。残額は月に約80ユーロで、残りの基礎介護サービス(体の洗浄や食事の手助けなど)をまかなわなくてはならないがもちろん不可能だ。結果として、認定された要介護度に対して支出される金額は介護に現実に必要な費用を反映していないことになる。

 施設にとっては自ら赤字経営を受け入れるか個人負担分の請求をするかサービスを低下させるしかない。同じ記事では、体を拭くためにストッキングを脱がせたあと、介護師は次のような質問をせざるを得ないだろうと言う「体を拭きますか、それともストッキングを着けましょうか。」
 
 現在の傾向として、これまで健康保険が疾病看護の枠内で対象としてきた在宅サービスの多くが介護保険に押し付けられるようになってきている。結局、介護保険は、当初の介護負担を軽減する機構から赤字の健康保険の負担を減らすためにサービスの一部を吸収する機構になってきているということだ。そしてこの傾向が進めば進むほど本来予定されていた介護に利用できる額は減少し、保険料率が上昇することになる。

 介護サービスが低下したり、介護費用が上昇して高齢者が健康保険の支払いがある病院に入院したいと望むようになったり、長期的に入院治療が必要な患者が増加することを関係者は恐れている。介護保険の意義は、高齢化が更に進行しても入院治療が必要になるまえに充分な介護を行い、医療費を抑えることにもある。ドイツでは医療費の支出対象の7割前後を高齢者医療が占めているため、本来ならば福祉産業の発展を促し医療費を抑えることができる介護保険のシステムは画期的だったはずだが福祉システムの他の赤字領域との境界が明確でなかったために危機に陥っている。【佐藤】


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フリーランスのリサーチャー、翻訳者、通訳者
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