ユルゲンさんはすぐに、市当局に対して石碑を修復するよう求めた。石碑が市の所有物であるからだ。しかし市側の反応は冷たく、石碑の存在には全く関心を 示さなかった。ユルゲンさんはそれならと、自分で石碑を修復すると決心し、スポンサーを探し出す。運良く、東ベルリンの石工業者が自己負担で修復すると申し出てくれた。しかし、石碑を設置する場所がない。市当局と交渉しても、埒があかない。全く動いてくれないのだ。ユルゲンさんはいろいろと尋ね歩きながら、元あった場所から800メートルほど離れた敷地に場所を見つけた。こうして、石碑は2001年1月、ギュンターの64歳の誕生日に新しい場所に設置された。インヴァリーデン通り国境検問所のあったすぐ脇のところだ。
しかし、監視塔の使用権を得るため、ユルゲンさんは再び戦わなければならなかった。監視塔周辺に新しく集合住宅が建設されることから、監視塔が撤去されてしまう心配があったのだ。ユルゲンさんは監視塔にホームレスを住わせるなどして監視塔が解体されてしまうのを妨害し、政治家などの支援を得て40年間の監視塔の使用権を獲得した。しかし、国や市は一銭たりとも金銭的な援助をしようとしてくれない。ユルゲンさんは有志とともに資金を集め、兄ギュンターの死から42年後の2003年8月24日、ギュンター・リトフィーン記念館をオープンさせた。| bmk Berlin フリーランスのリサーチャー、翻訳者、通訳者 bmkberlin.com |