ベルリンに祀られた人々

 シリーズ「ベルリンの偉人」では、街に建立された像を通して、市民の歴史観を探ることをテーマとしている。街角の像といえば、日本では地蔵を始めとして野の仏や祠を、ヨーロッパでもカトリック圏であればマリア像など、聖人像をよく見かける。しかしプロテスタント地域であるベルリンでは宗教関係の像にはあまりお目にかからない。代わって目にするのが俗世の有名人たち。これらは聖人同様に「祀られている」といっても良いかもしれない。
 では街全体でどれだけの人物が「祀られて」いるのだろうか。それを調べるのに、ベルリン全体をくまなく探索することは個人の力では不可能である。したがって文献を利用するわけだが、適当なものがないか探してみると「参考文献」にも挙げた『ベルリンの彫像と記念碑(Skulpturen und Denkmler in Berlin)』(1990年刊)が情報を提供してくれそうだとわかった。この書を利用してデータベースを作り、それを基に分析を試みた(1)
 収集の結果を見ると228個、186人の像・記念碑がベルリン全体で設置されているのがわかる。この中には立像、座像、胸像、レリーフといった姿を模したものから、プレートやオブジェのような記念作品まで様々だが、人物を「祀っている」点を共通項としてデータを拾った。前掲書には、無名戦士や読書する労働者などといった社会主義の都市空間によく見られる匿名の像や純粋な芸術品についても収録されているが、データベースには採らなかった。またイカロスやティル・オイレンシュピーゲルといった伝説上の人物も採用しなかった。あくまでも歴史上実在した人物を記念したものだけを対象としてデータを収集した。
 さてどのような人物がいるのか。228個で186人ということは、特定の人物については複数あるわけだが、誰が像として人気があるのか調べてみると以下のような結果が出る。

 まずは、ベルリン全体で3体以上が作られた人物を表にまとめる。

ベルリン全体
順位 人物 像・碑の数
カール・マルクス (Marx, Karl) 6
アレキサンダー・フォン・フンボルト (Humboldt, Alexander von) 4
レーニン (Lenin, W.I.) 3
3 ヴィルヘルム・ピーク (Pieck, Wilhelm) 3
3 ヴェルナー・ゼーレンビンダー(Seelenbinder, Werner) 3
3 ルドルフ・ヴィルヒョー (Virchow, Rudolf) 3
3 ハインリッヒ・ツィレ (Zille, Heinrich) 3
3 フリードリヒ・エーベルト (Ebert, Friedrich) 3

 東地区で3体以上あるものは上の表に全て入っているので、東地区のみのランキングは割愛し、西地区のみの結果を次に表にするが、西ベルリンには3体以上作られた人物はなく、2体ある人物を挙げることにする。

西ベルリン
アレキサンダー・フォン・フンボルト (Humboldt, Alexander von)
フリードリヒ・エーベルト (Ebert, Friedrich)
オットー・フォン・ビスマルク (Bismarck, Otto von)
ゲーテ (Goethe)
フリードリヒ・ルートヴィヒ・ヤーン (Jahn, Friedrich Ludwig)
王女ルイーゼ(Luise (Knigin))
オットー・ズール (Suhr, Otto)

 東西ベルリン全体の表で挙げたマルクス、レーニン、ピーク、ゼーレンビンダーは、社会主義に関わる人物で、全て旧東ベルリン地区に設置されている。資料として利用した書籍の刊行が1990年であるために、現在ではすでに撤去されており、現時点で調べると順位を落としている人物もいるかもしれない。結果を見て意外に数が少ないのがフリードリヒ大王(2世)を始めプロイセンの王族やドイツ帝国の皇族だろう。大王像は有名なウンター・デン・リンデン通りのものが1体あるのみで他は確認できない。戦前あるいはドイツ革命前にはもっと多数が存在したものなのか、前掲書では追跡できない。宮殿内などの屋内には多数あることだろう。
 また映画の「グッバイ・レーニン!」で社会主義のシンボルとしてヘリコプターで撤去されたレーニン像だが、3体とは意外に少ない(少なかった)ことがわかる。郵便ポストや電話ボックスのように街中どこにでもあるものではないようだ。社会主義の街では、神格化されたマルクスが群を抜いて多いのは納得できるが、その盟友エンゲルスは意外にも少ない。把握できた限りでは、マルクスと一緒に立つものが一つしかない(マルクス・エンゲルスフォーラム)。

 西ベルリンのみを見るとビスマルクの像が上位(といっても2体だが)に入る。王族の記念碑はあまりないと書いたが、それは西ベルリンに限っても同様。王女ルイーゼの名前が見えるが、それ以外に2体以上存在するプロイセンの王族、君主の名前はない。王族ではないが、ドイツ民主共和国(東ドイツ)時代の首脳陣の像もあまり見られない。東ベルリンで多く作られたのは、神格化されたようなマルクスとレーニンを除くと中堅的な人物が多い。3体も作られているピークやゼーレンビンダーがどのような人物かを知る人はそう多くはないだろう。

 しかし気になるのは、そういった社会主義時代に作られた像がどうなったかということだ。私がベルリンに住み始めた1998年の秋、近所の作業用車両駐車場に、撤去されたレーニン像がおかれていたのを記憶するが、あれは一体どうなったのか。どこから撤去されたものだったのか。今にして思えば写真に収めなかったことが悔やまれる。当時は何となく気の毒なようで、カメラを向けるのは不謹慎にも感じられた。
 レーニン像の行方についてはいずれ調べてみたい。【2004年6月17日】【長嶋】


(1) Endlich, Stefanie / Wurlitzer, Berlin 1990.

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bmk Berlin
フリーランスのリサーチャー、翻訳者、通訳者
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