中・ 東欧へのゲートウェイとしてのドイツ

第 一回:ドイツと中・東欧諸国の経済の概観

中・東欧諸国の諸民 族

ま ずこの地域の民族地図を見てみよう。上記の地形区分で、私が北ドイツ平原とその延長に位置づけた地域、そしてその南に位置する中欧山地帯(チェコおよびス ロバキア)の言語地図は、現在非常に簡単で、ドイツより東の国々はバルト諸国を除いて西スラブおよび東スラブ語を話す民族が居住している。

西 スラブ語と他のスラブ諸語との違いは簡単に言ってしまうとまず、見た目の違いであろう。西スラブの諸言語はすべて我々がよく知っているラテン文字で書かれ ている。これに対して東スラブ諸語および南スラブ諸語のほとんど(クロアチア語のような例外もある)は我々にはなじみの薄いキリル文字で書かれている。こ の違いは、宗教とともに文字を伝えた聖職者の違いによるところが大きい。ラテン文字文化圏のカトリック地域ではラテン文字が導入され、ギリシャ文字文化圏 の東方教会が広まった地域ではギリシャ文字から派生したキリル文字が使われていた事情によるものである。

他 の多くの言語同様、スラブ諸語もそれぞれの地域に分散したのちに異なる生活環境、異なる周辺国家の影響などの理由で独自の言語に変化していったが、これま でにも述べたように互いの行き来が簡単であったという理由からスラブ諸語相互の違いは他の印欧語のグループ内での相違に比較して少ない。一般に西スラブ語 に属するポーランド語やチェコ語がスラブ語の古い形態をより多く残し、複雑な文法を持つのに対し、広い範囲に広がった東スラブ系の言語の文法や発音は比較 的簡素であるといえる。

一 般的に言って言語は地形が変化に富んだ地域ほど方言相互間の違いが大きく、山の多いドイツ南部には多くの(相互理解が困難なほどに)異なる方言が多数存在 するのに対して、その数十倍の面積に広がるロシア語は比較的方言が少ない言語といわれている。

バ ルト諸国の言語はバルト語群(Baltische Sprachen)と呼ばれる、リトアニア語(Litauisch)、ラトビア語(Lettisch)および現在では消滅してしまった古プロシア語 (Altpreuisch)その他の諸語であり、これらはゲルマン語にもスラブ 語にも属さない独自の語群を形成している。これらの言語は、印欧語族の古い形態を良く保存しているとされるが、それがゆえに文法は複雑である。フンボルト 大学で印欧語の比較言語学を専攻している友人がいるが、この専攻ではサンスクリット語もしくは古プロシア語のいずれかを履修することが義務づけられている ため、四苦八苦しながら勉強していた。

現 在でも話されている2つのバルト言語の話者は約5百万人であるが、実際にはソビエト支配が約2世代にわたって続いたため、多くの住人がロシア語を日常言語 としている。実際にラトビア人の知人に尋ねてみると、「今勉強しているところ。」という回答であった(1996年頃の話である)。

ド ナウ流域地方として分類した地方はスラブの海の中の回廊のような様相を示している。この「ドナウ回廊」地域は北と南をスラブ系の言語を話す民族に挟まれて いながら、両岸でスラブ系の言語が話されているのはセルビア共和国をドナウ川が貫流するほんの一部分の地域である。

た めしにドイツからドナウ川にそって流域諸国をたどって見るとまずゲルマン系のドイツ語民族の国、ドイツとオーストリアに始まり、右手にスラブ語の国スロバ キアを見たと思うとドナウはすぐにアジア系のフィン・ウゴル語に系のマジャール語が話されているハンガリー、セルビア共和国の一角を貫流すると南にスラブ 系のブルガリアが左側はしかしロマンス語(ラテン語)系の国ルーマニアである。川という単語をそれぞれの国の言葉で書いて見ると次の表のようになる:

ドイツ語(ゲルマン語)

Flu

ハンガリー語(フィン・ウゴル語)

foly

ルーマニア語(ロマンス語)

ru

スロバキア語(西スラブ語)

rieka

セルボクロアチア語*(南スラブ語)

reka

ブルガリア語*(南スラブ語)

reka

*南スラブ語に属する両言語はラテン文字に書き直したもの

第 一次世界大戦で、チェコに重工業地帯を持ち、人口でも面積でも大国であったオーストリア・ハンガリー帝国が隣国のドイツに比べてさっぱりふるわなかった理 由は、言語上の問題も影響しているという。実際には被支配民族の反発が最大の原因であろうが。しかし、戦争では弱かったオーストリア・ハンガリー帝国は学 術や文化では非常に多彩な面を見せていた(次回参照)。

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