ベルリン |
レーニン像はどこへ行った?【2004年6月28日】 |
レーニン広場(国連広場)で 前回のレポートでは、レーニン像のあった場所が判明した。像は、東ベルリンのフリードリヒスハイン地区、レーニン広場(Leninplatz)に建っていた。この広場は、新旧の地図の対比から、今は国連広場(Platz der vereinten Nationen)と改名されていることがわかった。 その広場は、地下鉄U5のStrausberger Platz(この路線の起点となるアレキサンダープラッツ駅からから2つ目)で降り、地下鉄の路線にそって延びるKarl-Marx AlleeからLichtenberger Straeへ入り、北へ500 mほど行ったところにある。地図でわかるのはここまでだ。 2004年6月27日(日曜日)レーニンを探して東地区に向かった。地下鉄駅から地上に出る。Karl-Marx-Alee(カール・マルクス・アレー)は、さらに東に行くとFrankfurter Allee(フランクフルター・アレー)と名前を変えて郊外へと延びている。このフランクフルトは、日本人にもおなじみのフランクフルト・マインではなく、ベルリンの東方、ポーランドとの国境の街フランクフルト・オーダーにちなむということだ。この辺りは東ベルリン地区でも最も社会主義の計画都市の面影が残っているところの一つではないだろうか。まっすぐに延びる大通りの両側に、厳めしい高層建築がシンメトリックに並んでいる。この通りは、1950-1961年にはStalin-Allee(スターリン・アレー)と名付けられていた。高層住宅のファサードを飾るタイルは、なんとマイセン焼きとのこと。街の感じは、一度歩いたモスクワのベラルーシ駅からホテル・ベルグラードへとつづく大通りを思い出させる。地下鉄U5は、改修が進んでおり、駅の壁はピカピカのタイル張りで、蛍光灯の照明。ベルリンの地下鉄は何となく薄暗いのだが、ここばかりは東京の地下鉄と見紛うばかりだ。いずれベルリン中がこのようになって行くのだろうか。
国連広場(レーニン広場)もそんな雰囲気のする場所だったが、四隅の広い空間のどこを見ても、レーニンは見当たらなかった。広い空間が余計空虚に感じられた。私が1998年に見たレーニン像は、ここから撤去されたものだったのだろうか。【長嶋】 |
地下鉄U5の駅 |
Karl-Marx-Alleeの街並 |
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