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イン・デン・ミニスターガルテン通り北側、手前よりニーダーザクセン/シュレスヴィヒ・ホルシュタイン、ラインランド・ファルツ、ザールラントの代表部
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ベルリンを訪れたことのある人の中には100番バスを利用して著名な観光スポットを回った人も多いだろう。100番バスの経路を縫うように200番バスが設置されたのはご存知だろうか。ツォー駅から動物園脇を通ってティアガルテン通りへと200番バスは走る。この通りに沿って各国の大使館が並び、日本の大使館もここに置かれている。ナチス政権時代にここへ移されたものだ。この辺り、ティアガルテン通りとラントヴェア運河に挟まれた地区がベルリンの大使館街で、各国が意匠を凝らした大使館を並べている。
しかし今日紹介する「もう一つの大使館街」はここではない。ソニーセンターのあるポツダム広場の交差点からエーベルト通りを北に200mほど歩くとイン・デン・ミニスターガルテン(In den Ministergarten)という通りが右手に見つかるはず。東に伸びるこの通りの両側に近代建築の「大使館」が並んでいる。ニーダーザクセン、シュレスヴィヒ・ホルシュタイン、ラインラント・ファルツ、ザールラント、ブランデンブルク、メクレンブルク・フォアポンメルン、ヘッセンの7つ。聞いたことない国?。それもそのはず。これらは主権を持った「国」ではなく、ドイツの州だから。その代表部の建物がここに集積している。
「国(くに)」ではなく「邦(くに)」の大使館というわけだ。「州」の代表部が「邦」の大使館ってどういうことか。それって本当に大使館?。国と州と邦?。話の筋がわからなくなってしまった読者も多いだろう。そういう方はドイツの正式名称を思い出して欲しい。日本語では「ドイツ連邦共和国」。確かに「邦」が入っている。「邦」を連ねた国、それがドイツ連邦。ドイツ語で「邦」は、Land(ラント)あるいはStaat(シュタート)になるが、勘の良い方はそれが英語では、land(ランド)とstate(ステイト)にあたると気がついたのではないだろうか。つまり国であり州でもあるのだ。これで話の意図が見えてきただろう。
日本でも現今の改革の中で道州制が言及されることがあるようだが、我々日本人には、正直言って「州」といわれても理解できない。多くの人が大きな「県」だと思っているだろう。しかしドイツの州は、そうではなくむしろ小さな「国」といった方が良い。
例えば、州=邦は、軍隊は持っていないがある程度の外交権が認められており外国と条約を結ぶことも認められている。規模で比較するともっと良くわかる。面積で最も大きなバイエルン州は約7万平方キロメートルの領域を持っているが、これは現欧州連合加盟国(15カ国)の中では、ベルギー、デンマーク、ルクセンブルク、オランダよりも大きくアイルランドとほぼ同じ。人口では1200万人あまり(ドイツで第2位)で、ベルギー、デンマーク、フィンランド、ギリシャ、アイルランド、ルクセンブルク、オーストリア、ポルトガル、スウェーデンよりも多い。まさに国なのだ。バイエルン州首相は、隣国のオーストリアの首相よりも多くの住民を代表していることになる。
歴史的に見ると面白い。バイエルン州は、ワーグナーの保護者、国王ルートヴィヒ2世でも有名なバイエルン王国の領域をほぼ引き継いでいるが、1866年のプロイセン−オーストリア戦争のときには、この王国は後にドイツ統一の中核となるプロイセンではなく、オーストリアの側で参戦している。1871年にプロイセンの覇権のもとでドイツ帝国が成立し、バイエルンがその一部となってからも国王は残ったし、外交、軍事、郵便、鉄道、酒税など限定付きながらも独自の決定権を留保していた。現在は国王こそいないが、バイエルン王国の延長線上に今のバイエルン州もあり、独立国の伝統を引きずっている。州代表部を「大使館」と紹介したのもこのためだ。
日本に置き換えたら、明治維新のときに版籍奉還と廃藩置県が行われず、藩主を抱えたまま近代化され、後に民主化が行われたようなものだろうか。日本に州の設置というのは面白いかもしれないが、歴史上一度も存在したことのない行政単位が果たして地方自治の主体として機能するのだろうか。ドイツのような州を単純に日本に移植できるということは考えない方が良いだろう。【長嶋】
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In den Ministergarten
1-3:ブランデンブルク州、メクレンブルク・フォアポンメルン州
4:ラインラント・フォアルツ州
5:ヘッセン州
8:シュレスヴィヒ・ホルシュタイン州
10:ニーダーザクセン州
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