ベルリン
リーバーマン・ヴィラ【2004年4月18日】
リーバーマン・ヴィラ
ヴァンゼー側から見た邸宅
  ここで紹介するリーバーマン・ヴィラ(Liebermann-Villa)は、ベルリンの南西に広がる湖ヴァンゼーの畔に建っている(Colomierstraße 3, 14109 Berlin)。ヴィラというのは庭付 きの一戸建て邸宅のことだが、ヨーロッパでそのような屋敷に住むということは、富裕層のステイタスシンボルとなっている。
 このヴィラを建て、晩年の夏を過ごしたマックス・リーバーマン(Max Liebermann)もその富裕層に属するユダヤ人で、ドイツ印象派の巨匠として知られている。彼は1847年、ベルリンのユダヤ人商人の子として誕生した。成長するに及びワイマール(ヴァイマル)、オランダ、パリで絵画を学び、フランスでは印象派のメッカ、バルビゾンにも住んだ。その業績を、評価し紹介するのは私には力が及ばず、ここでは割愛するが、アムステルダム孤児院を題材とした作品などが良く紹介されているので、ご存知の方も多いだう。フランスの印象派と同じくアカデミズムに対抗したリーバーマンだが、第一次大戦後のワイマール共和国時代には美術界の重鎮となり、文化政策にも大きな影響を与えている。1927年、80歳でベルリンの名誉市民となっているが、ナチスが台頭する中でユダヤ人である彼は、公的な職から自ら退き、1935年に87歳で逝去するまで苦悩の中で末年を過ごした。

 この邸宅は、彼が1909年に夏の別荘として取得したもので「湖畔の城(Schloß am See)」と誇りにしたという。彼自身の構想によって作られた7000平方メートルに及ぶ庭で200枚以上の作品が生まれている。リーバーマンは、1935年に死去しベルリン市街プレンツラウアーベルク地区にあるユダヤ人墓地(Schönhauser Allee25-27)に埋葬された。この邸宅はその家族、妻マルタ(Martha)と娘ケーテ(Käthe)とその一家に残された。
 1938年11月、「水晶の夜事件」と呼ばれる、ナチスによるユダヤ人迫害が発生した直後、娘夫妻は子供とともにニューヨークに逃れたが、寡婦となっていたマルタだけは、夫の墓を「置き去りにはしたくない」とベルリンに残った。ナチスによるユダヤ人迫害がエスカレートする中で、1940年にはこの邸宅も売却を強要され、リーバーマン家の所有から離れた。妻マルタは、1943年3月5日、強制収容所であるテレージエンシュタットへ移送されることになったときに睡眠薬で自らの命を絶ち、ベルリンでのリーバーマン家は絶えた。ユダヤ人絶滅を決定した1942年1月のヴァンゼー会議(Wannsee-Konferenz)から2年あまり後のことである。皮肉なことに、その会議の場となった屋敷は、このリーバーマン・ヴィラから5分と離れていないところにある。さらに皮肉なこともある。リーバーマン邸を設計した建築家パウル・バウムガルテン(Paul Baumgarten)は、第三帝国の代表的な建築家の一人となったが、彼はヴァンゼー会議の会場となった屋敷の設計も請け負っていたということだ。設計当時はナチスの所有にはなかったのだが。
 戦後1951年、土地と屋敷は迫害を逃れた娘ケーテの所有に戻ったが、1958年にはベルリン市に売却されている。1970年まで病院として使用された後、1972年にはスキューバダイビングクラブに賃貸された。1995年にその賃貸契約が2015年まで延長されることになったとき、設立されたばかりのマックス・リーバーマン協会(Max-Liebermann-Gesellschaft)が反対運動を展開し、賃貸契約延長は中止された。1995年に邸宅は記念物保護の対象となり、その2年後にはベルリンの議会は記念館としての使用を決議している。

 2002年8月には復元のための改修が始まり、私が訪れた2004年4月18日は改修作業の最中だった。工事中とはいえ、ヴァンゼーを望む庭園、屋敷からの眺めは十分に往時を偲ばせてくれる。しかし復元までにはまだ時間と費用がかかるということで、マックス・リーバーマン協会は寄付を募っている。
 入場料は3ユーロ。夏期の開館は金曜日(14−18時)、土・日曜日(11−17時)のみで、土・日曜の14時からはガイドツアーが行われる。詳しくは、協会に問い合わせて欲しい。
 屋敷の中には、セルフサービスの喫茶コーナーが設置されており、庭を望む部屋とテラスでの休憩が心地よい。屋敷や庭の他にもここのリンゴケーキ(アップフェルクーヘン(Apfelkuchen))をお勧めしたい。

 邸宅の場所は、Sバーン(S1,S7)でヴァンゼー(Wannsee)駅まで行き、駅を出たら左へKronprinzessinnenweg、Königstraße、Am Großen Wannsee、Colomierstraßeとヴァンゼーを右に見て湖畔の道を歩いて行くと30分程度で着く。夏にはヨットハーバーや湖畔の邸宅を眺めながらの散策が気持ち良いが、ヴァンゼー駅からバス114番に乗れば、ヴィラの前に停留所がある。
 このAm Großen Wannsee通りには、先に挙げたヴァンゼー会議で使用された屋敷(Am Großen Wannsee-Str.58)やドイツ帝国成立にとって重要なプロイセン−デンマーク戦争の記念碑フレンスブルガー・レーヴェ(Flensburger Löwe)(複製)もあり、ドイツの近現代史、ベルリンの都市生活を考える上で貴重な記念物が見られる。

フォトギャラリー:邸宅街アルゼン − リーバーマン邸、ヴァンゼー会議会場、フレンスブルガー・レーヴェ

【2004年4月18日】【長嶋】

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フリーランスのリサーチャー、翻訳者、通訳者
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