ベルリン
レーニン像はどこへ行った?【2004年7月6日】
ついに判明、レーニンの「居場所」

 前のページで書いたように、レーニン像が広場から撤去された年はすでにわかった。1992年のことだ。そうとわかれば図書館にでも行って新聞をめくってみたいところ。新聞にあたれば探している情報だけでなく、その当時の出来事、情勢もわかるだろう。しかし1年分というのは少し多すぎる。せめて1月分くらいに絞れないものか。
 そこでインターネットでの検索を試みる。検索のキーワードは「Lenin」「1992」「Leninplatz」くらいで十分だろうか。当時の新聞記事がデジタルアーカイブに残っていればそれに越したことはないのだが、10年以上前では望みが薄い。インターネット内の記事は信憑性に欠けるという懸念もあるのだが、それは多かれ少なかれどんな種類の情報についてもいえること。情報ソースを検討すれば、インターネット内のデジタルデータでも、新聞記事並みの信憑性は期待できる。
 Googleでの検索の結果でまず目に留まったのは、ベルリンの地方紙Berliner Zeitungのデジタルアーカイブ中のデータだ。ただし1992年ではなく2000年8月14日付けの記事。この記事は、東独時代のレーニン広場(現国連広場)周辺の高層住宅をテーマとした展示についてのもの。ここでわかるのは、撤去されたのは1992年ではなく、1991年10月ということ。ベルリン市(州)政府が撤去を指示し、数百人の住民がそれに反対したということだ。ちなみに記事には、像が建立されたときのことにも言及がある。建立は1970年4月19日、レーニン生誕100年記念の行事で、20万人が除幕式に集まったということだ。そしてこの記事では、レーニン像の行方も判明してしまった。ウクライナ産の赤御影石で作られた像は、125のパーツに分解されて運び出され、ケーペニックのSeddingrubeの砂の中に埋められたということだ。(1)
 もう少しデータを探してみよう。次はすでに廃刊になってしまった雑誌だが、Berlinische Monatsschriftという月刊誌のデジタルアーカイブ。この雑誌は主にベルリンの現代史を扱っていたが、2001年6号127−130頁にレーニン像の除幕についての記事があり、最後に像の撤去について書かれている。それによれば撤去が始まったのは1991年11月13日ということで、上述の新聞記事とは若干時期が異なるが、どちらが正しいともこれだけでは判断できない。雑誌記事によればはじめは頭部と3つの部分が運び出され、野次馬や写真に収めようという人々が集まり交通渋滞が引き起こされるほどだったということ。住民の反対もあったが1992年1月には撤去が完了したということだ。レーニン像の行方については記述がない。(2)
 最後にもう一つ、Mggelheimer Boteというベルリンのミュッゲルハイム地区(Mggelheim)のプロテスタント教会団体編集の雑誌(2003年6月発行)に記事があり、インターネット版として公開されている。ここに紹介する中では最新の情報だが、レーニン像はやはりSeddingrubeの砂の中にあるという。ベルリン市(州)政府(都市開発庁)は、市民イニシアティブによるリュヒョー・ダンネンベルク(Lchow-Dannenberg)へ引き取ろうという提案を拒否しているという。この記事によれば像は、映画「グッバイ・レーニン!」のシーンのように白昼ヘリコプターで撤去されたわけではなく、夜中にこっそりとトラックで移送されたということである。市(州)政府は、土産物業者などが分解された像を勝手に破壊して持ち出さないように、その上にさらに盛り土をするかもしれないとのことが書かれている。(3)
 最後の記事からは、政府が臭いものに蓋をしようと躍起になっているように感じられる。市民運動への引き渡しを拒否しているのは何のためなのか。旧体制のシンボルをなかったものとして、文字通り風化に任せようとしているのか。そもそも1991−92年の撤去は、だれの意志でどのように決定されたのか。疑問は広がるばかりだ。
 しかしこのbmk記事の当初の目的である「レーニン像はどこに行った?」という疑問には、一応の答えが出された。像は、1991年10月ないし11月−1992年1月にレーニン広場から分解して運び出され、ケーペニック地区のゼディングルーベ(Seddingrube)に安置されているという。2003年以降、盛り土がされていなければ、まだその一部を見ることは可能かもしれない。ゼディングルーベは、ゼディンベルク(山)近くの砂利採取場。【長嶋】


注:
(1) www.BerlinOnline.de/berliner-zeitung/archiv/.bin/dump.fcgi/2000/0814/lokales/0029
(2) Schtzler, Heiko, 19. April 1970: Das Lenindenkmal wird enthllt. in: Edition Luisenstadt, Berlinische Monatsschrift Heft 6/2001, S.127-130 (www.berlinische-monatsschrift.de)
(3) www.mueggelheimer-bote.de/0306/seite_wm.html


宣伝広告/スポンサー
bmk Berlin
フリーランスのリサーチャー、翻訳者、通訳者
bmkberlin.com

【関連記事】【シリーズ】ベルリンの「偉人」、【シリーズ】ベルリンの見えない壁
掲示板 (bbs) へ
日本語トップへ