ベルリン
レーニン像はどこへ行った?【2004年7月19日】
レーニン像の墓場へ

 これまでの調査により、分解されたレーニン像がどこへ移送されたか判明した。その姿を確かめようと7月17日(土)、安置されているというゼディンベルクへと自転車を走らせた。筆者の住むシャルロッテンブルク地区からはSバーン環状線、ベルリン南東方向へと向かう路線で1時間あまり。アイヒヴァルデ(Eichwalde)駅で下車し、駅前の道を小集落シュメックヴィッツ(Schmckwitz)へと向かう。この辺りまで来るとベルリンも郊外の雰囲気となり、別荘風の建物や庭付き一戸建ての家屋も多くなる。この地区はベルリンの南東のはずれ、つまり旧東ベルリンの端に位置する。余談だが、この辺りは西ベルリンのツェーレンドルフなどの郊外住宅街と並んで、平均的な家賃が高いところ。市の中心へは電車で1時間近くかかるが、中心から離れれば家賃が安くなると考えるのは日本人の考え。ドイツでは、大都市の郊外はしばしば中心部よりも家賃が高いことがある。静かで緑豊かな環境を求め、自動車での通勤を当たり前とする富裕層がこのような場所に住居を求める。東京でも田園調布や成城学園前の邸宅街はその傾向があるだろう。閑話休題。

渡し船の船内

 シュメックヴィッツから目的地へは渡し船を使う。湖岸はヨットクラブなどがあるが、向こう岸にはキャンプ場があり、週末はリュックを背負った若者や釣り人でにぎわう。渡し船に10分あまり揺られると対岸のキャンプ場に着く。船着き場の周辺には、ハイキング、キャンプ客を相手にする売店もあり、今年一番の暑さとなったこの日もかなりのにぎわいを見せていた。
 そこからいよいよレーニン像が安置されている場所へと向かうわけだが、キャンプ場を後にするとにわかに人気がなくなり森の中の寂しい山道となる。明るくはあるものの、森の中の道を行く筆者は急に不安になり、独りで来てしまったことを後悔し始めていた。森は、営林署の職員が定期的に見回っているとはいえ、いつも監視の目が届くわけではない。木立の中へ連れ込まれてしまえば、当分は人目につかないだろう。実はこの辺り、ネオナチグループの若者がうろつき、恐喝被害にあった者もいたという話なのだ。

寂しい小径

 しかしここまで来てしまったのだからと覚悟を決めて道を急ぐ。木の根で凹凸のできた心細い舗装道路を行くこと15分あまり(心細さのせいでもっと長く感じたのだが)、採石場跡地と思われるところにたどり着く。いよいよと気持ちを励まして近づいて行くのだが・・。入り口はなんと鉄の門扉で閉じられ、丈夫な南京錠で施錠されている。近くには「射撃練習場につき入るべからず」との表示もある。ドイツではこういう場所でも「自分の責任で入ること」と自己責任の国らしい表示をよく見かけるのだが、ここは「禁止」である。「射撃練習場」であるとは撃たれても責任は取らないぞとの脅しにも感じられる。まるでベルリンの壁の再来。
 そう、ここはレーニン像の墓場。禁断の地への入り口だったのだ。【長嶋】

レーニン像の墓場


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フリーランスのリサーチャー、翻訳者、通訳者
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